スシペロ事件で個人的にモヤること
いわゆるスシペロ事件が世間を騒がせてからしばらく経った。
いま、スシロー側(被害者側)が少年(加害者側)に対し、6700万円の損害賠償を請求するということで、再び話題になっている。
まず、自分としては、加害少年に対し、同情の念とか擁護的な心情はいっさい持ち合わせていない。
そのうえで、世間の、加害少年に対する攻撃的な態度は行き過ぎていると思う。もう少し正確に言うと、世間の加害少年に対する攻撃的過ぎる態度が気に入らない。
上記したように、自分は加害少年に対し、同情の念の類は一切持ち合わせていないのだが、同時に、ざまぁだとか不幸になってほしいなどということも一切思わない。
これは要するに、
「今この瞬間も地球のどこかで犯罪を犯している(それこそスシペロなど比類にならないほど凶悪な)人間がいるんだろうが、いちいち『今この瞬間に地球のどこかで悪さをしているやつ許せん!』などとは思わない」
のと同じことで、たまたまニュースになってその人のことを知ったからと言って、自分の人生とは関わりのない人物が、幸福になってほしいとか不幸になってほしいとかいちいち思わない。
これは、少年を許しほしいとか減刑(民事だから減刑というのはおかしいが)してほしいとかいう意味ではない。許さないでほしいとか厳罰に処してほしいとかいう意味でもない。
簡単に言えば、与えた損害に対して弁償するのは当たり前だよね。というだけの話で、被害者側が算出した6700万円という請求額が妥当であるなら、加害者側はそれを支払うべきであるし、その結果、加害者側の人生が破壊されて不幸になったとしてもそれはしかたないことだ。
ただポイントは、加害者側が、結果的に、不幸になってしまってもそれはしかたないし、もう少し言えば、別に不幸になっても構わない、と思いはするが、それと同時に、積極的に、不幸になってほしい、と思ってもいないということだ。
上に書いたように、スシペロ事件の犯人は、自分とは関わりのない人間だから、そういう、地球のどこかにいる誰か、に対して持ち合わせる感情はない。いわばどうでもいい。
しかし世間は、というか、包み隠す意味もないから言ってしまうが、ヤフコメ民にとってはどうもそうでないらしく、加害者が不幸になればなるほど満足だというような人が多いらしい。
自分としてはそこがモヤるし、怖い。
民事事件である以上、賠償をする、というのが加害者側にとっての罰ということになると思う。6700万円という請求をされて、どう支払うのかそもそも支払えるのかはともかく、そういう罰を与えられたのならそれで終わりだ。あとは、頑張って生きていけばいいと思う。この後必死に頑張って、めちゃくちゃ幸福になって生涯を終えた、なんてことになれば、それはそれですごいじゃんよかったじゃんと思う。
しかし、そんなこと許されない! 一生涯不幸のままでいろ! と思う連中が少なからずいる。
あえて嫌味を言えば、お前らそのマインドで自分の人生は幸福なんか? という話ではないかとも思う。
昔から、とにかく叩きまくる風潮っていうのが嫌いだ。お前は関係ないだろと言いたくなる。
何が本質かを理解もせずに、自分が気持ちよくなりたいから、自分が気に入らないから、で喚く人間が多いことにげんなりする。