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ボートレースの前付けについて

 とあるYouTube動画で、某選手が前付けについて語っていたのを見て、思うところがあったので書く。

 

 その選手は、近年のボートレースは前付けする選手が少なく、ほとんど枠なり進入となるのが面白くないと主張している。

 たとえば、

「地元の優勝戦で6号挺だったとき、なんとしても勝ちたくて前付けする」

「ならなんで普段やらないのか?」

「地元だから前付けしますすいません。じゃないんだ」

「全てのレースで全力を尽くすべきだと思う」

 というような主張をしているわけだ。

 

 前付けを否定する気は全くない。

 しかし、前付けしてこそ、とか、前付けこそ正義、とか、前付けしたほうが面白い、とか、全力を尽くす=前付け、とか、そういう論調には同意できない。

 

 平たく言うと、前付けすればいいってもんでもない。

 枠なりなら枠なりの戦術や戦略はあるだろう。選手は前日から枠はわかっているのだから、その枠でどう動くか、前日から色々考えるだろう。だから、当日も与えられたその枠からいきたいと思うことはあるだろう。

 

 だいたい、これは個人の印象だが、前付けしたからって、前付けした選手が毎回勝ってるかといったら、そんなことはない。どちらかというと、余計なことをして飛んでいく印象のほうが強い。(前付けした場合の勝率連対率を調べたわけではないが)

 どうしてもスタートが深くなりがちな分、スリット後に伸び負けてやられる、というのはしょっちゅうあるように思う。

 

 そもそも、なにがなんでも前付けしたほうが断然勝率がいい、というのなら、みんな前付けするはずなのに、そうはならないのだから、前付けだって相応のリスクがあるし、選手心理として、必ずしもそれで勝てるなんて思っていないはずだ。

 

 

 動画で、その某選手が語っているのを見ながら、レースの目的がずれちゃってはいないか? と疑念が生じた。前付けすることが目的になっていないか? と思った。

「前付けしてやったぜ!(4着)」

 では、舟券購入者としては困るのだ。

 前付けしても勝てないならしなくてもいいし、前付けしたから全力を尽くしたとは言えない。

舟券はずれちゃったけど前付けして全力出してくれたところは見れた! 満足だ」

 とはならない。

 

 繰り返すが、前付けを否定する気はない。やってもいいと思う。ただどちらかというと、待機行動やピットアウトで隙を見せた選手に対して内を取りに行く、という動きであるべきじゃないかなと思う。なんでもいいから前付けにいくってのはちょっと違うと思う。

 前付け肯定派でもけっこうだが、前付けしないのに対し、ぬるいだとか面白くないだとか批判するのも、ちょっと違うんじゃないかと思う。